女たちの21世紀 No34 2003年5月発行 発行 アジア女性資料センター
〔特集〕50人が語る松井やよりの人と仕事−21世紀のフェミニズム運動へ向けて− より

怒りと愛と行動の人

高里鈴代(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会)


「今日はすばらしい女性にあった」

1974年だったか、早稲田奉仕園で「足で体験する東南アジアセミナー」の担当をしていた夫が、ある晩帰ってくるなり、「今日はすばらしい女性に会ったよ。君はきっと気が合うよ」と言ったのが、松井さんを知る最初だった。以来、30年近く、必要な時必要な助言や支援をもらってきた、と今改めて思う。

1977年にマレーシアのペナンで開かれた「アジア女性会議」に松井さんも含め数人の女性で参加した後、私は1人でバンコクと、留学以来15年ぶりになるマニラを訪ねた。両方とも夜の街が日本人男性で溢れていたのに衝撃を受けて、「アジアの女たちの会」に入り、特に買春観光の問題を取り組んだ。

買春のアンケート調査を踏まえて分析した資料を持って、数人の女性たちはコペンハーゲンで開かれた第2回世界女性会議に、松井さんと私は同じ資料を持って、マニラで開催された「第三世界観光問題国際会議」に出ることにした。

マニラ空港で入国手続きをする100%近い日本人男性の群と、会議の合間に2人で宿泊したホテルの日本人客の部屋から、一晩に200人を超す女性たちがはき出されるのとは容易に重なった。ホテルの裏口からきた3人の女性と朝食をとり、彼女たちのアパートも訪ねて話しを聴いた。1人は乳児をかかえてお乳が張っていた。

圧倒的な経済的格差に乗じた買春観光は、アジア差別、性差別と合わせて日本の買春文化を映し出すものだ。土井たか子衆議院議員の元に自動車メーカーの部長から内部告発もあり、衆議院外務委員会で女性たちが傍聴する中、土井さんが「恥という字をご存知ですか」と台湾の旅行社社長が掲載した意見広告や、マレーシア消費者連盟の新聞を示して伊藤外務大臣に迫り、旅行業法の改正に持ち込んだ。

この背景には記者・松井さんと、差別と闘う活動家・松井さんの不離一体の行動があったことが大きかったと思うが、これは、彼女の生き方に貫かれていたことではないだろうか。

沖縄の女性たちのそばにいた松井さん

松井さんは、復帰前後の沖縄に何度も取材で来ている。しかし、1981年に「’80年沖縄女の会」が女性差別、売買春問題を「買う」視点から取り上げた「売る春、買う春を考える集会」に招いてからは、同じ女性運動としてのつながりが出来、この20年間、沖縄の女性たちの運動に必ずつながって来た。

ラジオの電波を12時間使った女たちの祭り「うないフェスティバル」を1985年にスタートした時も、シンポジウム「女の視点から−21世紀のメッセージ」に、3年間シンガポール駐在員としてアジア14カ国をつぶさに取材してきた松井さんに基調講演をお願いした。この「うないフェスティバル」の10年間のネットワークが、沖縄から71人が北京会議に参加する素地となったが、アジア友情テントの日本コーディネーターだった松井さんから誘われて、私たちは沖縄の現状を伝え、他国の女性たちとの交流も深めることができた。

そして、北京会議から帰って受けた衝撃。12才の少女が米兵に強かんされた事件に早速抗議の行動を起こして「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」を結成して、25人の女性で総理官邸や外務省に要請行動を行った。松井さんはずっと行動を共にしてくれた。

1996年2月に行った『アメリカ・ピース・キャラバン』で出会ったアメリカの女性たちの提案で、1997年5月『女性・子どもの安全保障を求めて』をテーマに「第一回国際女性ネットワーク会議」が沖縄で開催された。「東アジア−アメリカ−軍事主義を許さない女性ネットワーク」が結成された。3回目の2000年にプエルトリコも加わり、2002年の夏韓国ソウルで4回目になるが、第一回からずっと松井さんは中心メンバーとして、特に、武力紛争と女性の問題に取り組む世界の女性たちの活動につないでくれた。当然というのも変だが、いつも参加をお願いしながら、自費参加に甘えてきた。

実は「国連2000年女性会議」に向けての「ESCAP会議」が1999年10月にタイで開かれ、松井さんは沖縄の状況も含めて「外国軍隊の長期駐留における女性への暴力」を提起したが、自国軍隊がその原因であることを意識してか、アメリカ政府代表の女性がその項目の削除を求めて、提言は実現しなかった。これは北京会議に向けての沖縄からの提案であるので、残念でならない。

ガーベラの花をたむけて

G8サミット沖縄開催に抵抗して開いた、「国際女性サミット」では、松井さんはVAWW-NETジャパンの代表として「女性国際戦犯法廷」の意義と取り組みについて報告して参加者の強い共感を呼んだ。また、紛争予防・軍事費削減・非暴力行動・国際女性ネットワークの分科会では、どうネットワークを広げていくかについて積極的に発言していた。

この国際女性サミットは、沖縄慰霊の日の6月23日を挟んで日程をとっていた。その日はフィールドトリップで「平和のいしじ」を訪ねた。韓国・朝鮮から強制的に連れてこられ、日本軍の性奴隷制の元に置かれた女性たちが、一体何人生きて帰国できたのか。名前を刻銘していない空白の御影石に、私たちは色とりどりのガーベラの花を一本ずつたむけた。

そのガーベラの花をじっと見つめて立っていた松井さんの姿、御影石に映っていた。「女たちの戦争と平和資料館」建設のパンフレットに描かれた赤いバラ。ガーベラを見つめる松井さんの心に、その真っ赤なバラの花が咲いていたにちがいない。

「女性国際戦犯法廷」のハーグ判決の実現こそ、すべての暴力を解決する道として、今度の連携を深めていきたい。

 

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