沖縄タイムス 2002年12月28日より

松井やよりさんを悼む 「沖縄の現状」海外で紹介 

 せめて お正月を迎えてほしかった。がんの進行とはこれほど早いのか、というのが率直な気持ちです。

 松井さんと知り合ったのは1970年代初頭でした。朝日新聞の記者であると同時に女性、アジアの視点にたつ女性運動団体「アジアの女たちの会」を立ち上げ、私も一緒に活動していました。

 それこそ徹底的に、かすかな叫びも聞き漏らすまいと、差別や抑圧、暴力に苦しんでいる女性、アジアの人々の声に耳を傾ける。構造的暴力に対して果敢にペンをふるうと同時に解決に向けて行動する人でした。

 95年の北京世界女性会議だけでなく、あらゆる機会に沖縄の現状に触れていたので、海外で自己紹介すると「松井さんから聞いています」と何度も言われ、私たちを世界の女性たちにつないでくれた存在でした。

 「軍事主義を許さない東アジア−アメリカ、プエルトリコ女性ネットワーク」の立ち上げから一緒に行動し、惜しまず支えてくれた方でしたので、大きな支えを失った気持ちです。

 肝臓がんの末期と知らされ苦しい思いのはずなのに、共に活動してきた仲間に「気落ちしているひまはない。さあ『女たちの戦争と平和資料館』の建設を実現しよう」と呼びかけたのです。

 本当に命の限り不正義に怒り、あらゆる暴力や人権侵害のない社会を最後まで求め続け、私たちに決意を迫るのも、本当に彼女らしい生き方だと思います。

 一緒にショッピングをすると服をあてて「似合うでしょ」と話すしぐさが、とてもかわいくて童女のようでした。泳ぐことも好きで、沖縄では時間に余裕があればよくプールに入っていました。

 松井さん、あなたのバトンはしっかりと受け取られています。安らかに休息してね、本当にありがとう。

                                   (基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表)